2025-01-19

 日本の7:00、イスタンブールの1:00頃に、イスタンブール空港に到着。飛行機から空港までバスで移動して、空港のエスカレーターに乗っている時にあれ?と思って、近くのベンチに一旦荷物を置いてバックパックの中を確認する。ないかも。いつも持ち歩いている緑色のViet Namと刺繍されたポーチがないかも。リップクリームと目薬とイヤホンが入っているから、バックパックから出して座席の前のポケットに入れていた。そのまま忘れてきたかも。体が震える。ポーチの中には車の鍵も入っている。

ちょっと落ち着こうと思い、一旦空港Wifiの接続に挑戦。ターキッシュエアラインズの乗客用フリーWifiがあるらしく、それに接続しようとしたけどなぜかログインできない。振替便のフライトナンバーだから?何回かやってみたけど無理なのでインターネットはあきらめて、とりあえずチケットの行き先を変更してもらうためにターキッシュエアラインズのトランジットカウンターを探すことにした。

入国審査ゲートの横を通り過ぎてちょっと歩いたところにターキッシュエアラインズの大きなカウンターを発見。行列ができた時用に蛇行して置いてあるレーンに沿って無駄にくねくねと歩き、なんとなく優しそうな年配の女性が座っている窓口に進んだ。チケットの経路を変更したいと伝えると、ここじゃできないとのこと。だるそうに右側を指さしているから、多分その隣のカウンターに行けということなのだろう。再度くねくねと歩いて隣のカウンターに移動する。目の前に来た私を一瞥して無言の男性職員。ハローと小声で挨拶し、元はパリ行きでチケットを取っていたがその先で乗り継ぎしてモロッコに行く予定だったこと、飛行機の欠航でその乗り継ぎ便に間に合わないこと、だからパリ行きのチケットをモロッコ行きに変更してほしいことを伝える。まだ無言。お互いにしばらく沈黙した後に、やっと「what is your purpose?」と言ってきたので、もう一回同じ説明をした。私の英語レベルが低すぎて伝わっているのかかなり微妙。怪訝な顔でいろいろと質問され、周りの職員と何か話しているうちに、こいつの乗る予定だった飛行機昨日欠航してるじゃん、と途中で気づいたようだった。彼は「モロッコ行きに変更していいんだな?同意するな?」と何度も確認してから、イスタンブールからモロッコに直接行く便のチケットを出してくれた。後半あまりにもスムーズに事が運んで戸惑う。よくわからないけど手続きが終わったっぽかったので、小声でサンキューと言ってカウンターを離れた。

続いて機内に忘れてきた緑のポーチを取り返すために再びくねくねと歩いて最初のカウンターに戻る。こいつまた来たぞ、という顔をしている女性に忘れ物について尋ねると、Lost and Foundに行けとのこと。なんとなく聞き返せない雰囲気で、よくわからないままオーケーサンキューと言って歩き出してしまった。モロッコ行きの飛行機は11:45発。今はまだ夜中の3時なので、時間はある。Lost and Foundを探して歩きながら、さっきチケットを変更してもらった時にお金を払っていないことに気づいた。チケットと一緒に渡された紙を確認すると「Total: TRY NO ADC」とある。TRYの意味がよく分からないが、無料にしてくれたということなのだろう。そもそも欠航したせいで経路変更が必要になったんだし、航空会社の補償内なのかもしれないけど、無料でチケットを変更してもらったにしては最後のサンキューが弱すぎた。反省。

ターキッシュエアラインズの看板がついているカウンターを見つけて、忘れ物をしたと伝えると、ここからLost and Foundまでの行き方が印刷された紙をくれた。


謎解きゲーム?


ヒントが少なすぎて不安だったけど、この通りに歩いて行ったら本当にスターバックスの横にBIG EXIT DOORがあってうけた。どうやらLost and Foundに行くには一度入国しないといけないらしい。Passport controlにたどり着き、入国審査官のポリスに「忘れ物をしたのでLost and Foundに行きたい」と伝えると、意外とすんなりトルコに入れてくれた。スーツケースが流れてくるベルトコンベアの横に、Lost & Foundを発見!中に入るとすでに何人か忘れ物を探す人達がいて、少し待ってからカウンターの男性に話しかけた。「君が乗っていた飛行機はまだ清掃が入っていなくて、あと3時間くらいしないと飛行機が開かない。飛行機が開いたらmy friendsが君のポーチを探しに行くから、3時間経ったらまた来て」とのこと。「3時間もここで待つのは大変だから、もう一度出国して、時間になったらまた来たらいいよ」と言って、おそらく出入国審査官に向けた手紙(?)のようなメモを手渡してくれた。よすぎる。




せっかくトルコに入国したし、と思って空港の外に出てみる。深夜4時のイスタンブールは寒かった。1つ下の階の出口に並んでいるタクシーの列がかわいい。しばらく辺りを眺めて、出てきたドアに戻ると出口専用だったらしく封鎖されていた。ドアの横に立っていたポリスにちょっとビビりながら、入り口用のドアまで歩いて空港内に戻った。

出国し、3時間のんびりして、再度Lost & Foundに向かう。Passport controlで私のパスポートを見て怪訝な顔のポリス。3時間のうちに2回目の入国をしようとしている外国人はもちろん怪しい。Lost & Foundで貰ったメモを出してみたけど残念ながら役に立たず、通してもらえなかった。「3番に行け」とのこと。指さしていた方に行ってみると、1枚壁を隔てたところに“2”と書かれたPassport controlがあった。3はないけど並び的におそらく2の隣だろう。しかし、3番への入り口は通れないようにポールで封鎖されている。どうしようと思っていると、一人の男性が封鎖しているポールの横をすり抜けて3番に入っていった。その真似をして、私も後ろを続く。さっきのPassport controlはほとんどが女性のポリスだったけど、こっちは全員男性。さらに後ろにもう一人追加でポリスが立っている。強そう。君こっちじゃないよという反応をするポリス達に「3番に行けと言われた」と伝えるとパスポートを確認し始めたのでLost & Foundに行きたいことを説明した。「OKユキカ、そしたら君はまずターキッシュエアラインズのカウンターに行ってフォトコピーをもらってからまたここに来い」とのこと。私がフォトコピーがなんなのか理解できないでいると、他の人のフォトコピーを見本に見せてくれた。パスポートと航空券を並べてコピーしてあるA4の紙。この雑な白黒印刷が何の役に立つのだろうと思いながら、フォトコピーをゲットするために再びターキッシュエアラインズのカウンターに向かう。

フォトコピーはかなりスムーズにゲットでき、再び3番のカウンターに戻ると、さっき対応してくれたポリスが後ろに立っていたポリスに羽交い締めにされていた。後ろに立っているポリスが多分先輩なのだろう。高校生のようなノリ。「こいつはbadだからこっち」と先輩ポリスが3番のポリスを取り押さえて笑いながら隣を指したので、2番のカウンターに進んだ。手続き中も話し続ける超フレンドリーな先輩ポリス。「2番のポリスのお母さんは日本人なんだよ、こっちのポリスのお母さんは中国人、あ、日本人は中国人嫌いか、トルコ人は好き?、ところで日本で有名なトルコの歌手知ってる?」話しているうちに無事に入国のスタンプを捺してもらうことができた。すると、ちょっと1分だけ、と言ってカウンターから下りてくる先輩ポリス。スマホを取り出し、日本で有名なはずのトルコ人歌手の動画を見せてくれる。まったく誰だか分からない。そのまま3分くらい謎に立ち話をして、最終的にグータッチをして先輩ポリスと別れた。変な汗かいた。

Lost & Foundは混んでいた。3時間前にメモをくれた男性の姿はなく、代わりに歯科矯正のワイヤーをつけた若い女性が一人で対応している。カウンターの席に深く腰を掛けて明らかにイライラしているおじさんは機内にPCを忘れてきたらしく、そしてどうやらそれが見つからないようだった。盗まれたのかもしれないからこうなったら警察に行くしかないと言う女性に対し、いやあるはずだ、ちゃんと探してくれと何度も繰り返すおじさん。カウンターから少し離れたベンチに座って、しばらく様子を見ることにした。この人の対応が終わったら話しかけようと思って待っていると他の人が横から話しかけてそっちの対応をしはじめるといった感じで、忘れ物を取り返すには、横から割り込んで話しかける勇気が必要だった。でも急いでないし、グイグイ話しかけられる英語力も勇気もない。一歩を踏み出せずにそのままベンチで待ち続けていると、カウンターの奥からもう一人職員の人が出てきた。チャンス!ポーチは何色?と聞かれたのでグリーンと答えると、「みどり」と日本語が返ってきた。グレイト!と褒めたら、他にも知っている日本語を次々と披露してくれる。すごい。カウンターの奥に入ってしばらくして出てきた彼の手には、私の緑のポーチがあった。まじか!見つかるんだ。飛行機に忘れ物したら終わりだと思っていた。達成感がすごい。本当にサンキューベリーマッチ


無事にポーチを取り返し、再びPassport controlで苦戦するも無事に出国し、あとはモロッコ行きの飛行機を待つのみ。ちょっとご飯でも食べようかなと思ってバーガーキングのタッチパネルでメニューを見てみたら、ハンバーガーのセットが4000円以上した。無理すぎる。四ツ谷の薬局で買ってからバックパックの底で眠っていた魚肉ソーセージを食べて、ベンチで横になって飛行機を待っていたら、モロッコで合流する予定だったユナさんと同じ飛行機だということが判明。搭乗前に会えてかなり安心だった。

飛行機の中でノマドランドを観る。途中で有線イヤホンを持っていることを思い出し、機内で配られるイヤホンと代えたら音が変わりすぎてびっくり。ここまで観ていたのはノマドランドじゃなかった。着陸直前で空席をはさんで隣の人が吐き始めた。やたらこっちまで足を伸ばしてリラックスしているなと思っていたけど、体調悪かったんかい。かわいそうに。着陸態勢に入っていてどうしようもないので、もらいゲロしないようにできるだけ匂いを嗅がないようにしながら着陸。シートベルトを外してからCAさんを呼んだけど、吐いている人への対応が冷たすぎて意外だった。15:30モロッコ・マラケシュに到着!やったー!




小林さんとエリックさんとエリックさんの子供が車で迎えに来てくれた。エリックさん/Eric Van Hoveはモロッコ在住のアーティストで、小林さんの友達。今夜はエリックのアトリエに一泊させてもらうことになっている。車に荷物を詰め込み、キャパオーバーで私の白いスーツケースは車の上の荷台に乗せられて、アトリエに向けて出発した。赤土色の建物で統一された町並み、自動車に混ざって走る馬車、なにもない広大な空き地、素敵すぎるエリックのアトリエ、アトリエの前にずっと繋がれている誰かの馬、歩いて行けるところにあるローカル市場、荷台満杯にピカピカのオレンジが積まれたトラック、でっかい牛の肉の塊が吊るしてある肉屋、八百屋に並ぶピカピカの野菜、店先の机に山積みになっている平たくて丸いパン、そこら中にいる猫

市場で買い物をして、アトリエまでの帰り道でやっていたフリーマーケットを見た。地元の人達の反応からして、この場所にアジア人がいるのはかなり珍しそう。陶器を売っている店があり、かわいいコップの値段を聞くと5DH(ディルハム)とのこと。両替アプリに5DHと入力すると76円と出た。びっくりして、皆でコップを二個ずつ買った。アトリエに向かって歩いていると、地元のギャル三人組が近づいてきた。一緒に写真を撮ってほしい、とのこと。よろこんで写真を撮ったらそこからつかまってしまい、言葉が全然通じないまま体感30分くらい立ち話をした。日本における英語のポジションが、モロッコではフランス語らしい。ほとんど意思疎通できないままバイバイした。買ってきた肉と野菜でタジンを作る。平たくて丸いパンはフライパンで温めたら少し柔らかくなって美味しい。こういう小麦の塊って感じのパン大好き。


2025-01-18

朝起きて、一応切っておいたスマホの電源を入れてみる。耐えた~!iPhoneの防水機能は素晴らしい。ありがとう。そのままなんとなくツイッターを見ていたら、パンプキンポテトフライ解散!?うそだろ

シャワーを浴びて、近くにあったLIFEにご飯を買いに行く。チキントマト煮弁当を買って、ついでに抹茶味のキットカット(空港内のコンビニで高値で販売されていた)と、ちゅ~る(モロッコの街にはたくさん猫がいるらしいので)も買った。ホテルに戻り、エレベーターの横にあった電子レンジで温めて弁当を食べたら、信じられないほど不味くて衝撃。どれにしようか選んでいる時はあんなに美味しそうに見えたのに。というか、スーパーのお弁当がこんな不味いことある?東京ってこうなの?

12時にホテルをチェックアウトし、再びタクシーに乗って羽田空港へ。出発ロビーの電光掲示板によると振替便はやっぱり今日の17:00発になったようだった。余裕を持って早めに振替便のカウンターに向かったけど、もうすでにとんでもない行列。昨日の比じゃない。どこまでいっても最後尾にたどり着かない。1個の飛行機にこんなにたくさん乗れるのか。

パンプキンポテトフライのPodcast番組「パンプキンポテトフライの剣」の最新回・解散発表回を聴きながら行列に並ぶ。高校の同級生で、一緒に上京してきて10年以上活動したコンビが解散。「剣」もいいけど、stand FMでやっている「たっくんラジオ」も気が抜けていて好きで、よく聞いていた。寂しい。パンポテの解散発表ラジオを聴き終わってもまだ行列の半分も進んでいなかったので、先週のおぎやはぎのラジオを聴きながら更に1時間半くらい並び、ようやくカウンターにたどり着いた。

昨日フライトキャンセルになったせいで乗り継ぎ予定だった飛行機にも乗れなくなっている。羽田-イスタンブール-パリ-モロッコと乗り継いでいく予定だったけど、パリから先は別の航空会社でチケットとっているので補償されるのかかなり微妙。イスタンブールから直接モロッコ行きの便に変更してもらえないか聞いてみると、「ここでは変更手続きはできないので、イスタンブール空港に着いてからトランジットカウンターで相談してみてください」と言われてしまった。私にそんなことできるのか?

出国し、搭乗ゲートが開くのを待っていると、「機内食って昨日のやつのままなのかな?もし昨日の分を捨てていたとしたら、捨てないで昨日配ってほしかったよね」と話しているのが聞こえてきた。たしかに。

いよいよ飛行機に乗れた。離陸直前に隣の外国人が立ち上がって、どこかに行ったきり戻ってこない。どうやら他の席に移動したようだった。ラッキー!3人並びの真ん中から窓側にスライドさせてもらって、隣も空席になった。14時間を快適に過ごせそう。出発予定の17:00から更に1時間くらい遅れて、とうとう飛行機が飛んだ。久しぶりの飛行機。座席のモニターで今飛んでいる位置を確認して、窓から外を眺めて、また位置を確認して、を繰り返す。予定ルートでは能登の上を通過するみたいだったけど、飛行機はどんどん逸れて、結局島根の上あたりを飛んでいった。

機内食を食べて、ちょっと寝て、マチルデが誘ってくれた千葉のアーティストインレジデンスに応募するための資料作りをはじめる。過去作品をまとめるために写真フォルダを遡っていたら、2020年3月12日に蟻鱒鳶ルの岡さんのインタビュー記事をスクショしているのを発見。今はもう完成している蟻鱒鳶ルが、その記事の中では鉄筋が見えているくらい、まだまだ建設中だった。この間、友達のカナタくんに蟻鱒鳶ルに連れて行ってもらったことを思い返す。鉄の扉を開けて中に入り、地下から屋上まで見せてもらったけど、ものすごすぎてよく分からなかった。全く把握しきれない。どこを見ても何かがある遊びだらけのコンクリートの巨大な塊。こんなにすごいものを作っているのに控えめで淡々として見える岡さん。何枚か撮っていたスクショの中に「楽しんで作ったモノは美しく、イヤイヤながらにつくったモノは美しくない」という言葉があった。

寝て起きたら、窓から見える地上の光がだいぶ変わっている。直線に連なる光。ここどこだろうと思ってモニターでマップを確認したけど、地図上には国名ではなく主要都市の名前だけが書かれていて、知らない町の名前ばかりだった。いろいろな四角形を描くカラフルなたくさんの光。地理を知らなすぎることを後悔。


後で調べたら中国〜アフガニスタン・イランあたりでした


2回目の機内食はオムレツとパンとチェリーサワージュース。食べ終わる頃にCAさんが横の通路に来て、何か言いながらジュースが入っていた紙コップを指さした。もう下げてもいいか?と聞かれているのかなと思って適当にイエスと答えると、CAさんは紙コップを持ってどこかに行き、そしてまた紙コップにジュースをなみなみと注いで持ってきてくれた。おかわり要るか聞かれていたのか。チェリーサワージュース美味しかったから2杯目嬉しいな、とごくごく飲んで、びっくりした。これジュースじゃなくて赤ワインだ。たしかに飲み終わった紙コップだけ見たら赤ワインが入っていたと思うのも無理ない。シンプルすぎる勘違い。赤ワインこんなにたくさん飲めないよ~と思いながらちびちび飲んで、結局半分くらい残した。

2025-01-17

マチルデのマンスリーマンション周辺でランチのお店を探す。煙の良い匂いにつられて入った燻製料理屋が大当たりで、マチルデは大喜びでほっけの開きを完食。原宿に行く用事があるという彼女と一旦解散し、薬局と百均で買い物をしてから部屋に戻り、“羽田空港直通便”のタクシーを5時半に来てもらうように予約する。マチルデから「誤ってDaisoに入店してしまったので、ユキが出発する時間までに部屋戻れないと思う」とメッセージが来て笑った。まあ、またオランダで会える。マチルデはDaisoが楽しすぎるらしく、島根のDaisoでも2時間くらい費やしていた。

マチルデの部屋に送っておいてもらった小林さんの大きな黒いスーツケースと、自分の荷物が入った大きな白いスーツケース、それとバックパックを持って外に出る。約束通りの場所に停まっていたタクシーに荷物を積み込んで、羽田空港へ。今から私はモロッコに行くことになっている。

温泉津に滞在していた2ヶ月間のうちの後半1ヶ月間、私はなぜか、小林さんがモロッコのアートフェアに出す作品の制作をしていた。私は自分の制作を進めるために温泉津にミシンを持って行き、小林さんはその時ちょうど作品を縫ってくれる人間を探していた。奇跡的なタイミングでミシンと共に現れた私は、小林さんの作品”空き家から出てきた着物で作った巨大Tシャツ”の制作チームに加わることになり、結果的にその制作のほとんどを担うことになった。ユニクロのTシャツを解体して型を取り、それを拡大して全長2.5mのTシャツのパターンを制作。空き家から見つかった着物を解体して一度布地に戻し、それを巨大Tシャツの形に縫い合わせていく。作っているうちに、裏地の処理とか、柄合わせとかにまでこだわり始めてしまって、想像していたより遥かに大変な作業になった。温泉津を離れる日の朝も早起きしてTシャツの襟ぐりを縫っていたくらい、ギリギリまで制作した。そのくらい頑張ったので、私は小林さんにモロッコまで一緒に連れて行ってもらえることになった。ついでにそのままオランダとパリにもついて行かせてもらえる。驚きの展開すぎて未だに現実味がない。

羽田空港に到着し、出発ロビーでターキッシュエアラインズのカウンターを探す。行列だったけど、アプリでオンラインチェックインをしている人用の早いレーンに並ばせてもらえたので、結構スムーズにチェックインが完了した。カウンターででかいスーツケース2個を預けてだいぶ身軽になり、とりあえずトイレへ。海外に行くのは5年ぶり。有効期限がわずかだったからパスポートも更新して新しくした。無事にチェックインできてほっとしながらトイレの棚にバックパックを置いた時、何かが落ちた音がした。下を見ると便器の中に私のスマホが水没している。反射的なすばやさで便器からスマホを取り出し、カバーを外して、トイレットペーパーでできる限り拭いた。今スマホを失ったらやばすぎる。アプリでオンラインチェックインしたから、飛行機のチケットもスマホの中にある。プチパニック

ターキッシュエアラインズのカウンターに戻り、行列を整理している職員のお姉さんに話しかけた。スマホで搭乗券を表示しながら今の状況を説明する。手に持っているスマホがだんだん熱を帯びてきている気がする。お姉さんが私のパスポートを持ってカウンターに手続きしに行ってくれている間、小林さんに「スマホが水没したので連絡取れなくなるかもしれません。モロッコでお会いしましょう」とメッセージを送り、スマホの電源を切った。おかげさまで紙の搭乗券を手に入れて、保安検査場を通過し、何事もなかったかのように搭乗ゲートに向かう。オンラインチェックインの場合でも、万が一に備えて紙のチケットも出してもらうようにした方が良いです。

飛行機は21:45発の予定だけど、整備不良で遅延しているらしい。出発予定時刻を過ぎてしばらくしてからも搭乗ゲートの近くで待っていたけど、遂には“出発時刻未定”になってしまい、さすがに暇だったのでちょっとロビーを歩き回ってみることに。NHK WORLDが流れている大きなモニターがあり、そこで能登震災についてのニュース番組がやっていた。不思議な気持ち。私は今からモロッコに行く。モニターの前に置いてあった深く沈みこむソファに座り、英語で説明される能登の現状をしばらく観ていたけど、被災者のインタビュー映像に涙が出てきてしまったのでモニターを離れて搭乗ゲートに戻った。

搭乗ゲートは混雑していた。待ちくたびれてイライラした乗客が職員さんに文句を言い続けている。少し離れた所にあるベンチで横になって本を読んでいたらだんだん眠くなってきて、半分寝ていたら、他の乗客達が団体になってどこかに歩き出していることに気づいた。何?焦って職員さんに聞きにいくと、今日はもう飛行機飛ばないらしい。まじか。確かにもう2時だし、そうか、欠航とかあるのか。「ホテル代とタクシー代は補填されますので、本日はご自宅に戻るか、どこかホテルをとっていただいて、また明日の出発時刻が決まり次第HPにてお知らせいたします」とのことで、午前3時、日本に入国。ベルトコンベアに流れてきたでかいスーツケース2個を回収し、到着ロビーに向かおうとしたところで職員の人がターキッシュエアラインズの欠航証明書を配りながら現時点では振替便は明日の17:00になりそうだと教えてくれた。

空港のロビーに出て、恐る恐るスマホの電源を入れる。点いた。助かった~。グーグルマップで近くのホテルを検索し、適当に電話を掛けていくが「申し訳ございません。本日は満室いただいております。」と言われてしまうことが多く、ホテルってこんなに満室なものなのかとびっくり。空港の近くは無理そうだったので少し範囲を広げて探し、ようやく空きがあった蒲田のビジネスホテルを予約した。でかいスーツケース2個と共にタクシーに乗って蒲田のホテルへ。多分さっき電話で対応してくれた、深夜なのにやたら愛想の良いおじさまホテルマンが受付に立っていた。「こちらでお願いします」と案内された受付の手前にある機械のタッチパネルを操作してホテル代を支払う。財布の中のクレジットカードを探しながら、さっき空港内で「モロッコ行くのに現金足りないかも」と不安になってATMで深夜料金の手数料を払ってお金をおろしたことを思い出して悔しくなった。 

2025-01-16

朝7時、夜行バスでバスタ新宿に到着。大きなスーツケースと共に、マチルデが滞在している四ツ谷のマンスリーマンションに向かう。

去年の11月と12月、私は島根県の温泉津町に“アーティストインレジデンスの運営サポート”という名目で2ヶ月間滞在していた。小林さんというデザイナーの人が温泉津で里山再生などの活動をしていて、そのフィールドを拠点にアーティストインレジデンスを始めるとのことでサポートスタッフの募集があった。この募集に出会えたのは、LIVE DESIGN SCHOOLというカルチャースクールのようなものに参加していたからだった。

さらに遡って2024年の元旦、能登で地震があった。私は富山県氷見市という能登半島の真ん中あたりの町に住んでいる。初詣から帰ってきて、再びベッドに入ってゴロゴロしている時に地震がきた。大きな古い家はミシミシと音を立てながら長いこと揺れ続け、私は壁に立てかけてあったテレビが倒れないように支えながら、これは倒壊するかもな、と、半ば諦めたように思った。幸いにも我が家は揺れに耐え、今も住むことができている。

もう1年以上前のことなのであの時の新鮮な感覚は思い出せないけど、それなりにダメージがあった。そもそも2023年の後半から鬱気味だった私は地震をきっかけにほとんど制作をしなくなり、市役所の臨時職員として災害対応の仕事をしはじめた。市役所で働きながら、これからどうしよう、とぼんやり考えている時、ツイッターで原研哉さんがLIVE DESIGN SCHOOLの宣伝をしているのを発見。その宣伝ツイートは「飛び込むなら、扉が閉まる前に。」という一文で締めくくられていて、軽率な私はどんな学校なのかよくわからないまま、とりあえず申し込むことにした。

LIVE DESIGN SCHOOLではいろんな地方の地域で活動している11人のデザイナーが講師を務めていて、参加者は好きな地域を選んでそのフィールドに学びに行くことができる。通常は2泊3日くらいでプログラムが組まれていて、私は奈良県東吉野村の坂本さんのところに行ったりもした。

温泉津でのアーティストインレジデンスのサポートは番外編のようなプログラムの中の1つだった。募集枠は上限3名に設定されていて、蓋を開けてみると応募者は私1人だけとのこと。市役所の災害対応の仕事は9月いっぱいで終わっていて、やることもないし、それならレジデンシーが行われる期間丸々滞在してみようかな、ということで2ヶ月間温泉津に滞在することに。このまま能登にいても自力で制作を再始動させる元気がなかったので、どこかに行けるのは有難かった。

その温泉津でのアーティストインレジデンスに参加していたアーティストの一人が、マチルデだった。オランダにあるMONO JAPANという会社と共同運営のプログラムなので、オランダ在住のアーティストが対象。マチルデともう1人、マーンというフォトグラファーが参加していて、楽しくて優しい2人とわずかな英語力でコミュニケーションを取りながら、留学に来ているような気分で2ヶ月を過ごした。

プログラムが終わり、マーンはすぐにオランダに帰国したけど、マチルデはそこから1ヶ月間この四ツ谷のマンションに住んで東京を満喫している。事前に教えてもらっていたパスワードで鍵を開けて部屋に入るとマチルデはまだベッドの中にいて、「Hey Yukiii」と言って両手をひろげて出迎えてくれた。「千葉のアーティストインレジデンスにユニットで応募しよう!」とマチルデが誘ってくれたので、今日はそのための準備をする約束をしている。マチルデがシャワーを浴びるのを待ってから、一緒に近所のサイゼリヤに行き、ドリンクバーを飲みながら打ち合わせをした。マチルデはオランダ在住のイタリア人。サイゼリヤのピザは「まあ悪くはない」らしい。私が頼んだたらこスパゲッティも食べてみてと勧めたけど「No」と断られた。

夜はたまたま日本旅行中だというマチルデの友達と合流して新宿のスシローに行き、その後ゲームセンターに行ってプリクラを2回撮った。